
9月21日、新宿の紀伊国屋書店で行われた
『生きさせろ!集会』に行ってきました。
現在は派遣社員で紛う事なきプレカリアートなので。
第3部のパネラーの小熊英二さんがイメージと違って、ハイテンションで喋り捲る人でかなり面白かったです。
小熊さんのお話はそれ以前にお話をされた労組やNPOの人達の活動を否定するかの様な導入で結構ドキドキしながら聞いていたのですが、少し紹介すると
「1960年代後半から90年代初頭ぐらいまでの日本の経済状況は世界中の歴史を見渡しても例外的に幸福なものだったのに、それが当たり前だと思い込んでいる」
という事を近代法によって整備された権利(憲法25条の生存権など)に依拠して社会運動をしている人達の前で仰るとかw
それでも結論としてはその「例外的な状況」を守るべきだというお話だったのですがね。
そうしないと、とんでもなく劣悪な社会になりかねないと。
つまり、他のパネリストの方々の活動は重要であるということだったのですが、面白いのは小熊さんの視野なんですよね。
つまり、時間(歴史)や空間(外国の状況を見分)を移動してきた上で、この反貧困キャンペーンやプレカリアート運動を見ているという点が僕としてはとても興味深かったのです。
僕は小熊さんのお話と関連して、
9月14日のオールニートニッポンで、ANNの山本繁さんと「こわれ者の祭典」の月乃光司さんがなさっていた印象深いお話を思い出していました。
お二方ともこの反貧困キャンペーンのような、労働/生存運動、プレカリアートの問題の解決は頑張って欲しいと思うけど…、というちょっと異論ありという感じだったのですね。
月野さんのお話は、
「運動が成功しても救われない個人が必ずいる」
という等身大でとても明快な論点です。
山本さんのお話は、労働運動が成功して労働者の待遇を改善したら、企業の財政が圧迫される。それで企業自体が倒れたり、延いては日本経済全体が沈没していくような事になったら、もっと酷い状況に成りかねない、それをどう考えるのかということでした。
山本さんの論点を敷衍してみましょう。
例えば、北九州市の餓死事件がこのイベントでも言及されていましたが、日本の企業、経済がポシャって、貧乏国になったら食料自給率の低いこの国では、もっと普通に餓死者がたくさん出るかもしれない。
今はお金があるから、世界中から食料を買い漁ってこられますが、山本さんも仰っていたように、円に力がなくなれば不可能になります。
「1ドル110円なら、買えたのに、120円だから買えない」という問題がいたる所で起こったらやはり、社会状況が変わってしまう。
今、僕がお腹が減っているとして、近所のコンビニに行けば簡単に色々なおにぎりやらパンやらお菓子やら手に入ります。でもそういうアメニティは、近い将来、この国から消えてなくなるかも知れません。
勿論、食料だけでなくありとあらゆるものが買えなくなります。
いささか極端ですが、イメージしやすい例を出せば、北朝鮮くらい外貨を稼げない国になっても良いのか? ということです。企業が競争力を失う事や、国が貧乏になることがなにを意味するのかという事は考えて見る必要があると思うのです。
労働者にまっとうな賃金が払われたり、労働法制が守られる事はやはり重要だと思いますが、この両面からの批判を常に意識した形でこの運動があって欲しいと思います。
一方は運動から零れ落ち救済されない個人が必ずいる事、
もう一方は企業、経営者、国も競争、生き残りに必死であり、そのことも重要な意味を持つという事。
それでもこの運動は重要で、法的、政策的な措置をちゃんと実現して欲しいと思っています。
今回登壇された労組やNPOの方々には是非とも頑張って頂きたいと思います。
「例外的に幸福な」社会状況を守るために。

雨宮処凛さんにサイン頂きました。うひゃ!
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